2013年6月27日木曜日

老老介護

高齢化率が10年早く進む永源寺地域では、高齢者一人暮し、老夫婦世帯の方々もたくさんおられます。
そんな老夫婦の一方が先日寝込まれました。

症 例:91歳 女性(Sさん)
疾 患:高血圧、骨粗しょう症
家 族:97歳の旦那さんと二人暮らし
旦那さんと二人、月に一度、外来に通われていました。旦那さんは出兵されていたこともあり、非常に礼儀正しい方です。私が外来で「ご飯が食べられなくなったらどうしますか?」と尋ねたら、「二人とも最期は家で迎えたいと思います。」と言われていました。
毎回、私が尋ねていたもんですから最近では私が尋ねる前に「最期は家で・・・」と言いながら笑っておられました。

一年ほど前から奥さんが徐々に弱ってこられ、なんとか外来に通われている状態となりました。
しかし、遠方の娘さんに連れられて頑張って月に一度通われていました。

そして、2週間前に旦那さんだけが外来に来られました。
「先生、じつは一か月前より家内が寝込みまして、先生にお力をお借りしたいと・・・云々」と語られるではありませんか!
旦那さんの診察もそこそこに「今日、昼から往診に行きますから」と言い、娘さんに介護保険の申請をするように伝え、午後から往診に伺いました。
往診に伺うと、奥さんは布団で寝たきり、仙骨部に褥瘡もできています。骨折や脳梗塞はなさそうですので、「老衰」かと思います。
オムツは97歳の旦那さんが交換し、遠方の娘さん達が交代で帰ってこられているとのことでした。
早速、ケアマネさんに連絡し、ベッド、ヘルパーさんの手配をお願いしました。
そして、一週間後の今日、褥瘡はすっかりよくなり、Sさんもお粥を食べられるほどによくなっていました。

旦那さんからは「先生のおかげです」と頭を深々と下げていただきました。「いやいや、約束ですから」

本日、帰り際に私から旦那さんに「困ったことはありませんか?」と尋ねると
旦那さんが言われました。
「家内は、こんな具合になってしまいましたが、長年連れ添った仲ですから仕方ありません。先生や皆様方にご支援いただきまして、とても助かっております。皆様に助けていただいて、私が家内の世話ができることが私にとって何より嬉しいことと思っております。」

旦那さん、カッコ良すぎます・・・

老老介護といえども、邪魔をしないように支援を考えていきたいと思います。

帰り際には玄関先まで見送っていただきました。


2013年6月25日火曜日

多職種連携会議を開催しました。

先日、特別養護老人ホーム「もみじ」さんで、永源寺地域の多職種連携会議「チーム永源寺」を開催しました。

皆さん知った顔なので自己紹介の必要もなく、淡々と始まりました。
話題は、地域のボランティアさんや民生委員さんとの連携について・・でした。

普段、ケアマネさん達は行政、医療スタッフ、介護スタッフと繋がっていることが多いのですが、
その人やその家族の生活を見ようとするとやはり地域の人達と繋がらなければ情報が得られない現実があります。

個人情報に配慮しながら云々といっても民生委員さん達も行政から委嘱されて役を受けておられます。

そのあたりをどのように連携をとっていくか?
民生委員さんもきっと困っているのではないのか?

そんなことを話し合いました。

今後、さらに連携をとるため、花戸が民生委員さんのところに行って在宅医療、在宅看取りの話をすることになりそうです。


2013年6月21日金曜日

命のバトン

90歳のおばあちゃんが一週間前からご飯が食べられなくなっていました。
食事は摂れなくなっていましたが、子どもさん、お孫さん、ひ孫さん(幼稚園)達に囲まれながら在宅で過ごされていました。
往診に伺っても、いつもベッドの周りでは孫たちがワイワイ、キャッキャと賑やかな往診でした。

そして、昨日からは水分も摂れなくなっていました。

今朝、7時過ぎにご家族から「呼吸が弱くなっている」と連絡があり、外来診療の前に往診に伺うと、ひ孫さんが玄関で出迎えてくれました。

ひ孫「先生、おはよう」
私 「おおばあちゃん、どう?」
ひ孫「元気やけど、息がしんどそう」
私 「教えてくれて、ありがとう」
お部屋に入って診察をすると、確かに下顎呼吸といって呼吸が弱くなっています。

「今日中にはお迎えが来るかもしれませんね」とご家族にお話してお家をあとにし、その2時間後「息が止まりました」との連絡がありました。
外来診療の途中でしたが、急遽往診に伺い、親戚・家族の方々に囲まれた中で死亡診断を行いました。

とても穏やかな最期でした。

今朝、往診に伺ったとき、ひ孫さんが「元気やけど、息がしんどそう」というのは、非常に的確な表現だったと思います。

彼の心の中には
おおばあちゃんは家族の一員として家にいる。
でもご飯が食べられなくなって、徐々に弱ってきた。そして今日は、呼吸も弱くなっている。
そんなおおばあちゃんの様子を彼は私に教えてくれたのでした。

幼稚園から帰ってきたら、おおばあちゃんが亡くなったことを知らされると思いますが、彼の心の中に、おおばあちゃんはずっと残っていることでしょう。

おおばあちゃんの希望通りの大往生でした。



2013年6月19日水曜日

滋賀報知新聞さんに紹介していただきました。

6月12日に開催した山上小学校親子講演会の様子を、滋賀報知新聞さんに紹介していただきました。



2013年6月13日木曜日

PTA親子講演会を開催しました

昨日6月12日、山上小学校体育館にて、PTA親子講演会を開催しました。
講師は、写真家の國森康弘さん。

國森さんの講演では、永源寺での訪問診療はもちろん、世界の紛争地や東北の被災地の写真をたくさん拝見しました。
天寿を全うできる死、天寿を全うできない(望まれない)死、そしていろいろな立場での生。
とても考えさせられる講演会でした。

子ども達は、同級生のおじいちゃんが登場したり、近所のおばあちゃんが登場するたびに歓声をあげてみていました。

國森さん、ありがとうございました。



また、今日(6月13日)の京都新聞でその様子を紹介していただきました。
こちらも、ありがとうございました。

2013年6月6日木曜日

患者さんからの手紙

骨折のため某病院に入院している認知症のおばあちゃんから手紙が届きました。

認知症だけど畑に行きたくて外に出て、畦で滑って転倒し、骨折したおばあちゃん。
骨折ばかりは在宅で治療できないので、入院していただきました。

入院されるとできるだけお見舞いに行くようにしているのですが、先日入院中の様子を病棟に伺いに行っていました。
「帰ってきたら、また、往診に行くわ」と私からハッパをかけておいたら、おばあちゃんリハビリを熱心に頑張っておられるそうです。

そしてリハビリを頑張っていることを私に伝えたかったようで、お手紙をいただいたのですが・・・・

郵便番号、住所、宛名、全部デタラメなのに、よくぞ私のもとに届けてくれました。
郵便局員さんエライ!


2013年6月5日水曜日

幻聴

先日より往診しているおばあちゃん。
骨折で入院中に、認知症による幻聴がひどくなり「子どもの声が聞こえる」と言って病棟で看護師さんを困らせていたそうです。
早く家に連れて帰りたいと家族から相談があり、私が往診しています。

家に帰ってきても「子どもの声が聞こえる」は続いているようで・・・
先日、往診に行ったとき「家はどうですか?」と尋ねたら、「子どもがぎょうさんいて、にぎやかで良いわ」と。

幻聴ありますが、家では落ち着いて生活されているようで・・・
周りが騒ぎ立てずに、このままそ〜としておきます。

「なにか困ったことがあったらまた来ます」と言って帰ってきましたが、何も連絡がないので大丈夫なんでしょう。

いいのかな?
まぁ、いいでしょ・・

2013年6月3日月曜日

大根コンプロジェクト

現代農業での連載を読んでいただいている方が、永源寺診療所に訪ねて来られました。

そのお友達の吉野さんが行われている、震災復興支援プロジェクト「大根コンプロジェクト」のCDをいただきました。

岩手では、結構有名な歌だそうです。

思わぬところから、いろんな方々とのつながりに感謝しております。

2013年6月2日日曜日

「老いる」ということ


「この頃、弱ってきたわ」
今年で80歳になるYさんが、診察室でこぼされた。私からみても年齢の割には元気なおばあちゃんだが、畑に行っても今までできていた鍬づかいができなくなったことや、農作業をする時間が減り休む時間が増えてきたことなど、自分なりに身体が弱ってきたことを気にかけておられる様子だ。しかし、そんなYさんともいろいろと話をし、診察を終える頃には「何もできなくなったわけではないし、自分なりにできることを頑張るわ」と、明るい声で挨拶をされ診察室を後にされた。すっかり元気になられたようだ。次に入ってこられた70歳代のKさんは、暗い表情で「ここが痛い」「どこもかしこも具合が悪い」「こんなに具合が悪いのに誰も家族が心配してくれない」と、繰り返されるばかり。Yさんと比べても若く病気も少ないのだが、身体の具合の悪さや自分自身のおかれた状況に対してどうも納得いかない様子だ。私が、痛み止めの注射や薬を処方しようとしても、やはり前向きな言葉はでてこない。私からかける言葉も耳には届かないようだ。
毎年、農作業が忙しくなる季節には、膝や腰の痛みなどの症状を訴えられる方が外来にたくさん来られる。しかし、同じ病気であっても先ほどの二人を比べれば、どちらが早く元気になられるのか、薬を処方する前から自ずと分かってしまう。
人によって違いはあるが、歳をとってくると今までできていたことが徐々にできなくなり、具合の悪いところがあちらこちらにでてくる。診察室で膝が痛い、腰が曲がってきた、重いものが持てなくなった、などの症状を訴えられると、私達医師は、痛みをとる注射や骨を強くする薬を処方することはできる。しかし、たとえ痛みが減ったとしても、自分の生活に満足できなければ不満ばかりが残り、生活が楽しくないと訴えられる方も多い。たとえ、具合の悪いところがあっても、生活の中で自分の役割をもつことができれば、自然と元気がでてくるものだ。例えば、膝が痛くても台車に腰掛けながら草むしりをしているおばあさんの話や、重いものが持てなくても小さな籠に野菜をとりいれるおじいさんの話は、こちらも嬉しくなってくるので、ついつい診察が長くなってしまう。

老いることは悪いことなのか?
よく新聞やテレビでみかける経済の評論家達は、「経済は伸びなければいけない」、「売り上げは伸ばさなければならない」と話している。健康に対しても、このような期待をもっている方もおられるのではないだろうか。しかし、世の中には右肩上がりのものばかりではない。たとえば、人の一生は「生老病死」であらわされるように、生産年齢という一定の時期を過ぎれは、体力や知力は徐々に衰え、場合によっては病をもち、ついには最期を迎える準備をしなければならない時期が来る。よく考えてほしい、人生の「老病死」を迎える場面で、「老い」から目を背け、自分が困っている状況を受け入れられず、その原因は「病気」と決めつけ、それを治そうとたくさんの薬や健康食品などに頼る生活がいかに無意味なことか。
先ほど書いたように、年老いて若い頃と同じように作業ができなくても、家庭や田畑で自分なりにできることは、探せば何なりとあるはずである。私は、外来に来られる患者さんに対して、「私の仕事は病気を治すことだが元気がないのは治せない。だから自分でできることをみつけて元気になりましょう。」と話している。昨年と同じように今年があり、今年と同じように来年を迎えることができること、そのようなことこそが、元気に老いる姿なのではないだろうかと思う。自分自身の身体をよくみつめ、いつもと同じように変わらぬ生活を送ることができること、年齢を重ねてもそのような「安定」した人生を過ごせるような心構えが大切だ。

なんにでも効くクスリ
私は名医と呼ばれるような偉い医者ではないので「すべての病気を治すことはできない」と患者さんには正直に言っている。そんな普通の医者のところにも、毎日たくさんの人達が来てくれる。外来で話すことは、農作業の話やご家族との生活のことが中心で、病気の話は必要なだけにしている。あるおばあさんは、毎年と同じように農作業ができ、いつもと同じように野菜の収穫ができたことをとても嬉しそうに話され、それを聴いている私や看護師も素直に嬉しいと感じた。そして、診察室から出て行かれる時には皆さん笑顔で帰っていかれる。病気の状態を確認するだけでなく、元気を確認することが患者さんにとって一番の薬になっているように感じる。
我々がいつもと同じように人生を送ることができれば「安定」というが、経済においては、いつもと同じであれば「停滞」と言う。患者さん自身が発する「安定している」という言葉の中には、数字では表しきれない日々の充実感が詰まっている。たとえば農業であれば自分達の作った米や野菜を自信をもって他人に勧めることができること、季節に旬の野菜をいただくことは、何事にもかえがたい喜びである。

やはり、お年寄りの診察と農業は似ているような気がする。医療も農業も数字だけの物差しで評価してはいけないと感じるのは、私だけではないはずである。

当院の在宅医療について

   ここ19年間の実績をまとめました。      死亡診断書枚数   在宅患者さん人数   訪問診療・往診のべ回数 2005年    12           66          492 2006年    17           70          553 2007年...