2015年2月17日火曜日

宇陀市さんよりお手紙をいただきました。

先日、写真家の國森さんと一緒に講演をさせていただいた宇陀市さんからお手紙をいただきました。
宇陀市の職員さんをはじめ、多職種の方々、そして何より地域住民の方々の関心の高さを感じる講演会でした。今回の講演を通じて、宇陀の地域にも、新たな「まちづくり」のうねりが生じる気配を感じました。




いただいたお手紙を紹介させていただきます。
宇陀市さんの「まちづくり」、益々の御発展を祈念しております。

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平成27年2月吉日
永源寺診療所長 花戸貴司様
宇陀市医療介護あんしんセンター準備室
室長  ○○ ○○

在宅医療推進講演会のお礼について

 拝啓 立春の候、ますます御清祥のこととお喜び申し上げます。
 先日の在宅医療推進講演会では、ご多忙のところ遠路遥々お越しいただき、貴重なお話をお聞かせいただき、誠にありがとうございました。
 500席の会場は超満員で立ち見や通路に座ってお話を聞かれた市民もおられ、会館のスタッフは、講演会でこれ程多くの参加者が来られたことは今までにもないことだと言われていました。それ程多くの方の高い関心がある中の講演でしたが、講演終了時にも、市民の方々から「よいお話を聞かせていただきました」「来てよかったです」「ありがとうございました」と声をかけていただきました。翌日以降も色々な所で「本当に良かった」と話題に上り、参加できなかった人から「聞きたかった」との声もあり、後日ケーブルテレビで放映も予定しております。
 あたたかい空気の流れる中で、単に在宅医療というだけでなく、もっと深い、また「まちづくり」にもつながるお話を専門職だけでなく、市民の皆さんと共に聞くことができ、各々に果たす役割があることを感じられる有意義な講演会だったと感謝しております。
 参加した女性だけでなく、男性も、手話通訳、スタッフなどみんな涙と感動で反響は大変大きく、これからどのように「地域まるごとケア」を創っていくか大きなお題を頂いたと思っております。
 先生にお話し頂いたことを胸に深く刻み、焦らず、丁寧に多職種および市民と共に宇陀市の地域包括ケアの構築を進めていきたいと思っております。
 先生には本当に御多用の中、丁寧な資料と迅速で綿密な事前のご連絡を頂き、お陰様で講演会が無事に開催できましたことを心より御礼申し上げます。不行き届きな点も多々あったかと存じますが、お許し頂ければと存じます。
 最後になりましたが、花戸先生の益々の御活躍と永源寺診療所のご発展を祈念し、お礼のご挨拶とさせていただきます。
 略儀ながら、まずは寸書を持って講演会のお礼とさせてただきます。
敬具

2015年2月16日月曜日

市勢要覧を送っていただきました

市役所さんから、市勢要覧という冊子を送っていただきました。
合併10周年の記念誌に掲載していただき、光栄に思います。

2015年2月7日土曜日

「住み慣れたまちで安心して最期を迎える」住民のつどい

本日、近江八幡にて標記のシンポジウムが開催されました。私はシンポジストとして参加させていただきましたが、一緒に登壇していただいたご家族のKさんのコメントがとても印象的でした。
ここにKさんの言葉を紹介せていただきます。

この集会を企画していただきました関係の皆さま、ありがとうございました。



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看取り介護を終えて

細井先生との出会いは6年前になります。実の母がホスピス病棟でお世話になりました。最後は緩和ケアと決めていましたので、ホスピスに入院するまでの間を花戸先生に在宅医療でお世話になりました。ホスピスで私達は今までとこれからの分を凝縮するかのように、毎日母と一緒にご飯を食べ、語らい、特別な時間を過ごしました。がん患者にとって一番辛いのは死を受け入れることです。そして心が一番楽になるのも死を受け入れることでした。母は死を受け入れ、私達は母を見送りました。母は苦しむことなく孫達に手を取ってもらって穏やかな最後を終えました。私は最愛の人にもかかわらず母が亡くなってからも悲しみはなく、不思議と今も何処かで元気にしているのではと思えるのです。お二人の先生との出会いは主人の父の看取り介護をしたいと思った大きな影響となりました。
父は以前から認知症の症状があり、デイサービスを利用していました。その日も毎日と同じように車椅子を押しながら家の中を歩いていたのですが、転倒してしまいました。病院で大腿骨骨折の手術を受け手術も成功し、そして3か月が経とうとしていました。私達は次の選択をしなければなりません。主人も弟も私に介護をしてほしいとは言いませんでした。でも、私が介護をしないと言えば、父は二度と家に帰れなくなる。それは後々私自身が後悔するに違いないという思いはいつもありました。私は答えを探していました。どうしたらいいのだろうと。私は病院へ毎日のように父を見に行ったのですが、父は見放されたと思っているかのように声をかけても目をつむったままでまったく反応がありませんでした。ご飯を食べようとしない、聞かれても答えようとしない、目も開けようとしない。そんな時間が続きました。
ある日、私は「おじいちゃん、家に帰ろうか?」と気が付けば父に聞いていました。その瞬間父は大きく目を開いたのです。その時私は自宅で介護をすることをやっと決心できたのでした。「でも家に帰るにはご飯を食べなあかんよ」と私は言いました。次の日から私は自宅で介護をするためのオムツ交換・体位変換・食事・吸引の仕方などの退院指導をお願いしました。「おじいちゃんご飯食べようか?」というとそれまで口を開けようとしなかったのに毎食完食をするようになったのです。
それから自宅介護を選択した私は、花戸先生に強引に頼み込み主治医をお願いしました。母が往診に来てくださる先生を楽しみに待っていたこと「最後まで花戸先生にみてほしい」といっていた事を思い出し、自宅で介護をするなら花戸先生の力を借りたいと思いました。そしてケアマネージャーさんの紹介で訪問看護ステーション「みのり」さん、又お風呂は田中ケアサービスさんも力を貸してくださることになり、(大丈夫私はできる)と思ったのです。
 最初は確かに不安もあったのですが、すぐにその不安は消えました。先生・訪問看護ステーションさんの連携は強く、困った事があれば夜間でも相談できる体制をとってもらいました。訪問看護士さんにはいつも聞いていました。尿の色が変だったので見てもらえますか?誤嚥はしてないでしょうか?と色々な質問をしてもすぐに的確な答えをもらって不安は安心へと変わっていきました。
 又、父は先生が来てくださると元気な顔になり、帰られる時は自分から手を出して握手を求めるようになりました。頑固な父がみせた精一杯の感謝の気持ちでした。父はそれからずいぶんと元気になりました。エアマットから介護用マットへ、吸引も必要なくなり、食事も自分で取れるようになり、話をすると「そうかあ」と答えてくれるようになりました。そして嬉しい事がもう一つありました。ひ孫が生まれたのです。ひ孫を見ると顔がほころび、ベットの上で抱っこも出来ました。父は生きるための元気をもらいました。私はこのまま元気でずっと過ごせるのではと思っていました。
 しかし、おととしの夏は猛暑でした。父はその暑さに体力を奪われ、ある日を境に急に衰弱してしまいました。先生は点滴をどうしたいか?を私達に問われました。点滴は選択肢なのだとその時初めて知りました。私達は延命だけの点滴はやめることにしました。父
の持っている力で最期を迎えてくれることを望んだのです。又私は介護していく中で出来る事なら看取り介護をしたいと思うようになりました。父の最後を自宅で迎えさせてあげたい。機械ではなく最後まで父の顔をみて看取りたいと思いました。
 そして…最後の時はゆっくりと来ました。かつて母がそうであったようにゆっくりと最後の深い一呼吸で父は永遠の眠りにつきました。おばあちゃんと主人と私の見守る中で静かに息を引き取りました。83才の大往生の人生でした。
 自宅介護は、大変だとみなさんは思われるでしょうが、実は大変だと思ったことがないのです。介護は一人でしているわけではないといつも感じていたからです。先生や訪問看護師さん・ケアマネージャーさんが全力でサポートして下さるし、食事も忙しい時にはベビーフードに助けてもらおうとか、夜と朝のオムツ交換は主人の助けもありましたし、父も一生懸命自分のベットの柵をもって私を助けてくれました。最初はあまりに下手で父も見ていられなったかも知れません。随分と「おじいちゃんヘタクソでごめんよ」と言っていた気がします。『介護は明るく!』を私はいつも自分自身に言い聞かせていました。
 一番悩んだのは、病院に入院していても3ケ月経てば今後どのようにしたいかの返事をすぐに求められる事です。父は認知症を患っていましたので、父の意思で最期をどのように迎えたいかを知る機会はありませんでした。最後は何処で迎えたい?どうしてほしい?という事を日頃から家族で話してておられるといざという時に納得いく決断が出来るのではないかと思います。
 最後に自宅で介護をしてよかった。と思った事がありました。私にとって姪っ子にあたりますが、この子は時間が出来ると父の様子を見に来てくれました。時にはご飯を食べさせてくれて私の手助けをしてくれました。父と最後の別れの日、私達は父宛にメッセージを書いたのですが、姪っ子は『おじいちゃん、いってらっしゃい!』と書いてくれました。おじいちゃんは旅立ったと感じてくれたのでした。父が旅立ってから一年半が経ちました。私達は父の話になると「おじいちゃん、元気かなあ」といいながらいつも笑っています。

2015年2月2日月曜日

永源寺診療所における地域医療研修

1月に当院で研修をした滋賀医大研修医の先生から感想を送っていただきました。
地域の皆さんにたくさん教えていただいたようです。

これからも頑張ってください。

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永源寺診療所、花戸先生、職員の皆様

1か月間、大変お世話になりました。
永源寺地域は、僕が生まれ育った地域と非常によく似ており、懐かしい気持ちになれました。
在宅医療というものを全く勉強しないままに研修に突入してしまいましたが、先生を始め、スタッフの方々にやさしく教えて頂きました。

診療所に来院できる患者さんに対して、往診する理由が初めは全く分かりませんでした。
しかし、往診を通して、生活環境や家族関係を知ることで、患者さんが診療所で医師や看護師に見せる姿は生活のほんの一部であることに気づきました。


90歳を超えても元気な方々が多い地域ですが、加齢のため、自分自身・夫婦でできないことが少しずつ増えている方々に対して、施設入所を強制する訳ではなく、地域の方々が温かく見守っていらっしゃることが印象的でした。


老衰や基礎疾患の末期で自宅療養されている方々も往診させて頂きましたが、入院されている方と違って、顔が朗らかでした。病院に行くと、様々な制約に縛られてしまいますが、自宅では、今まで過ごしてきた環境(家・家族)で療養できる点が大きな違いであると思いました。


臨終の場面では、「生まれて死ぬ」という入院中の臨終とは違った、自然な流れを感じました。うまく言い表せませんが・・・

僕はこれから勤務医として、急性期病院で働く予定ですが、患者さんには帰る家・生活があるという、当たり前のことですが、医師として働いているうちに忘れてしまっていたことを学ばせて頂きました。そのことを肝に銘じてこれからも修練していきます。
本当にお世話になりました。

滋賀医科大学附属病院
初期研修医
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当院の在宅医療について

   ここ19年間の実績をまとめました。      死亡診断書枚数   在宅患者さん人数   訪問診療・往診のべ回数 2005年    12           66          492 2006年    17           70          553 2007年...