2015年3月29日日曜日

書評を書いていただきました

「ご飯が食べられなくなったらどうしますか」の本を書かせていただいてから多くの方に読んでいただいています。

本日の産経新聞で佐藤好美さんに書評を書いていただきました。

http://www.sankei.com/life/news/150329/lif1503290019-n1.html

ありがとうございました。

國森さんの写真と小串先生のあとがきとともに皆さんに読んでいただければと思います。



2015年3月26日木曜日

雑誌「健康保険」3月号

先日、取材にこられた佐藤幹夫さんの記事です。
ありがとうございます。




2015年3月25日水曜日

2015年3月24日火曜日

今日の中日新聞

東近江市さんが作成された在宅医療啓発冊子「わたしの生き方〜自分らしい最期を迎えるために〜」が紹介されました。




2015年3月10日火曜日

三方よし研究会のつくりかた


 滋賀県東近江医療圏は、東近江市、近江八幡市、日野町、竜王町からなる人口23万人の地域である。地域には11の病院と100以上の診療所、介護施設が点在しているものの、以前は東近江圏域内での医療と介護の連携はなかなかすすんでいなかった。このため、急性期病院に入院しても十分リハビリができないまま退院し不自由な在宅生活を強いられたり、訪問診療してくれる医者が探せないので、寝たきりであっても毎月外来に通院しなければならない人たちがいた。このような状況を改善しようと、2007年から保健所が中心となり地域の医療機関連携の取り組みがはじまった。当時の東近江保健所長と小串輝男医師会長が協力し、圏域内の病院および病院内の地域連携室、医師会、看護師、リハビリ担当者らに呼びかけた。まず、脳卒中連携パスによる連携会議を2007年9月からはじめた。当初は「東近江医療連携ネットワーク」と称し、医療だけの連携を意味する呼称であったが、やはり介護との連携やその他の職種との連携も視野に入れる必要があるという意見がでた。さらに、この地域ならではの名前をつけようと、近江商人の家訓である「売り手よし、買い手よし、世間よし」の三方よしにちなみ、「患者よし、機関よし、地域よし」の「三方よし研究会」と名付けられた。当初は、声のかかった関係者しか参加がなかったが、その後、薬局、歯科医師、消防署など関係するであろうと思われるあらゆる人たちに声をかけ、さらには、医療・介護の関係者だけではなく我々専門職と一緒に地域のことを考えてくれる非専門職、いわゆる一般市民の方々にも声をかけた。

少し、会議の様子を紹介しよう。
三方よし研究会は、毎月第三木曜日午後6時30分から8時30分まで、会場は各担当が持ち回りで開催している。
会場の特徴は、情報を一方的に伝えるスクール形式ではなく、小グループで議論ができるよう「車座」を基本としている。事例検討では、かかわった各担当者が自ら発表する機会を設けている。そうすることによって各職種の仕事はもちろん、各々の役割と連携の中での立場を皆に理解してもらうことができ、そしてなにより担当してくれた者にスポットライトを当てるのだ。初めての参加者には慣れない形式かもしれないが、我々の目的は、連携パスのマニュアルを作ることではない。立場や役割の違う多職種が各々の関わり方は違えど、急性期から回復期、維持期、在宅へと順に繋いでいくために、同じ方向を向いて仕事をすることと考えている。
また、運営上気を付けていることは、参加者の上下関係をできるだけ排除するようにしている。具体的には、「頭を決めてしまわない」ことである。もちろん各職種のトップや研究会の主宰は会議に参加しているが、会議の冒頭に堅苦しい挨拶の時間は設けていない。また、車座での座る順番も基本的にはくじ引きで決めている。そして、会の終盤には、全員の自己紹介の時間を設けている。(本来、参加者全員に自己紹介をしてもらうのであるが、最近は参加者が多く、初参加の者限定としているのが心苦しいところである。)このようにすることにより、自由に議論に参加することができ、すべての参加者がフラットな関係を築けているように思う。
そして、最も大切なことは、「時間を守ること」。一時的な盛り上がりも大切だが、継続して参加してもらえるように運営することも大切である。トップダウンではない組織をつくることにより、より現場の意見が反映でき、また現場も研究会で学んだことを礎としてさらに創意工夫を積み重ねることができている。

たとえば脳卒中の治療に関する議論のときのこと、病院関係者だけで考えると退院するところがゴールになってしまうが、病院以外の職種が加われば、患者さんにとっての療養生活は病院だけで完結するものではないとの意見がでた。さらには、病院での治療だけではなく、退院後の生活について介護スタッフや非専門職の方々からもたくさんの意見がではじめ、多職種で一緒に議論することができるようになった。退院後のリハビリで苦労しているという意見がでれば、入院中の早い時期からリハビリを始め、回復期へ連携できる体制を病院の医師が考えた。会議に参加している非専門職は、どのような時に救急車を呼べばいいのかを学び、地域に帰って広く伝えた。リハビリ病院の理学療法士からは、往診している主治医との書類だけのやり取りだけではなく、電話やFAXなどでこまめに連絡をとれるようになった。このように会議を進めるうちに、さらにお互いの顔の見える関係が築け、多くの人達がさまざまなところで動き始めた。予防から病院での治療、そして地域での暮らしまでを、皆が一緒になって議論することができ、医療介護関係者だけで解決できないことであっても、行政や一般市民とともに考えられるようになり、「できることからはじめよう」「走りながら考えよう」を合言葉に、回を重ねるごとにいろいろな知恵が湧き、そして皆が行動する、大きな「うねり」がおこり始めたと感じた。
現在、三方よし研究会は毎回120名以上の参加者を数えるまでになっている。参加する職種も医療介護関係者はもちろんであるが、行政、大学教授、NPOやボランティア団体などの一般市民の方、ジャーナリスト、宗教者など多岐に及び、視察なども含め、毎回のように圏域外からの参加者も迎えている。

三方よし研究会の目指すもの
今、高齢化率の高い農村部で地域の人たちが安心して暮らせているのは理由がある。田舎ならではの祭りや普請、あるいは近所づきあいが煩わしくて、都会に移り住んだ人もいるだろう。しかし、田舎に住み続けた人達は、そのようなお金では表しにくい煩わしさを「互助」という形で貯金をしてきたと考えることはできないだろうか。歳をとって身体が不自由になって誰かの支えが必要になった時、その貯金をした「互助」を使って生活をやりくりする。田舎の人にとってはごくごく自然な、お互いの生活を継続するシステムなのである。しかし、これは歳をとって田舎に移り住んだら得られるような単純なものではない。「互助」を得るために都会の人が田舎に引っ越すのではなく、今、自分の住んでいる地域で「互助」を貯めていく生活を心がけるべきだと思う。
じつは都市部でも「互助」にかわる人と人とのつながりがないわけではないと思っている。それは、同じ会社を勤め上げた仲間であったり、愚痴の言い合える仲のいい女性同士の趣味サークルだったり、場合によっては宗教のつながりであるかもしれない。都会にもこのようなつながりの関係からさらに一歩進んで、「互助」のつながりをもった「小さな田舎(コミュニティ)」をつくることができれば、年老いても、認知症になっても、独り暮らしであっても安心して生活ができる地域になるはずである。今、我々専門職に求められているのは、在宅での医療や介護を提供するための「地域包括ケア」づくりはもちろんのことであるが、お互いが地域のことを知り、地域で支えられるような「互助」を貯めることができるコミュニティづくりであるように思う。都市部よりも高齢化率が10年すすんだ東近江市永源寺地域で見えてきたもの、それは、我々専門職が提供する「地域包括ケア」と、非専門職が支えあっている「互助」を地域の中でつなぎ合わせること。これらのスキマをうまく埋める「地域まるごとケア」ができれば安心して生活できる地域になると信じている。

2015年3月7日土曜日

本を出版します

まだ未発売なのですが、このたび農文協さんから「ご飯が食べられなくなったらどうしますか?」という本を出版させていただくことになりました。

「ご飯が食べられなくなったら・・」というのは人生の最終章を迎え、ご飯が食べられなくなった時、どのような判断をすればいいのか、というだけではありません。
自分の人生の最終章を迎えるまで、いかにすれば輝かしい人生を送ることができるのか、「老・病・死」から目を背けずにいきいきとした「生」を感じながら生活しておられる、永源寺の人びととの経験を記させていただきました。

文章を書くのが苦手なもので、うまく伝えられたかどうかわかりませんが、國森さんの写真のおかげで素晴らしい本にしていただきました。

編集担当の皆さん、國森さん、そして本に登場していただいた永源寺の皆さん、本当にありがとうございました。


当院の在宅医療について

   ここ19年間の実績をまとめました。      死亡診断書枚数   在宅患者さん人数   訪問診療・往診のべ回数 2005年    12           66          492 2006年    17           70          553 2007年...